一橋大学の各学部の先生方が同一のテーマに関して、各20分前後の講義を行う毎年大人気の企画です。普段の一橋の四学部の授業を体感することができるコストパフォーマンスの良い企画となっています。

今年は「グローバル」をテーマにして企画を行います。近年ではグローバル化が進んでおり、一橋大学でも「スマート・強靭・グローバル」な人材を育成することを目標としています。このグローバル化における問題やその解決への糸口に関して、一橋の商・経済・法・社会の四学部の先生が各学部・専門の視点から講義します。また、それぞれの学部の講義後には来場者や他学部の先生からの質疑応答を行い、積極的な意見交換を行います。

グローバル化について気になる方から、未来の一橋生となる受験生、一橋の学問にご関心のある方まで、是非お気軽にお越しください。

▶商学部 山下裕子先生(一橋大学大学院商学研究科准教授)

専門 マーケティング、流通論

テーマ グローバリゼーション マーケティングはこう見る

商学部とは?
一橋大学の前身は、明治8年(1875年)に、森有礼が私設した商法講習所です。当時、欧米諸国が、産業革命を支える市場拡大をめぐり激しく凌ぎを削っており、各地に、国際貿易のスペシャリストの高等養成機関が次々と設立されていました。商法講習所は、そのような世界情勢の中、国際的に活躍できるビジネスパーソンの育成が急務だという志のもとに生まれ、その後、商大として発展していきます。商学部は、その商大の歴史を直接に受け継ぐ学部です。当時は、英語教育が重視され、国際貿易に関する実務的知識を伝授する内容の講義に力点が置かれていましたが、単なる実務知識にとどまらず、アカデミックな理論の深い理解と洞察が必要ということで、経済学部、法学部、社会学部が備えられていったのです。しかし、商学部は実務で、その他の学部は理論を教えているというわけでは決してなく、商学部には、経済学のような基礎学問の知見を踏まえた上での応用社会科学という特徴を持つ、研究分野が展開されています。

専門について
私は、商学分野の中でも、マーケティングを教えています。マーケティングとは、顧客価値の創造に関わる研究を行う分野です。マーケティングは、市場をあらわすmarketに現在進行形ingを付けたものです。市場とは、需要と供給のマッチングを行う経済制度ですが、消費者と供給者は互いに独立に、需要と供給を決めるわけではなく、供給者による働きかけにより消費者のニーズが顕在化される、また、供給者は、消費者のニーズを積極的に読み取ろうとする努力の中で、何を供給すべきかを決定します。需要と供給は、お互いに動的に影響を受けあっているのです。こうした需給の動的な働きかけには、実に様々なプレイヤーが関与しています。それらの協働の仕方により、顧客価値がうまく作れたり、作れなかったりする。マーケティングとは、どうしたら、それをうまくやれるのかを考える学問です。
私は、特に、グローバルな文脈での、この顧客価値の創造の仕組みについて興味を持っています。学生時代は、欧米と日本の比較研究を行っていました。現在は、新興国と先進国との橋渡しに興味をもっており、ゼミでも、新興国でのマーケティング研究に力を入れてきました。国際貿易により世界をより豊かな場所にする、という商大のスピリットを、21世紀の今につなげていく研究をしたいと考えています。

本の紹介
1. ハーシュマン、development project observed
本日のテーマがグローバリゼーションということで、経営学に影響を与えた、開発経済学の歴史的な著作を取り上げたいと思います。
経済学の一分野に、経済発展論という分野があります。開発経済学は、発展途上国の経済発展を扱い、開発経済学という分野です。開発経済学は、かつての先進国で起こった成長のメカニズムが、途上国では機能しないのはなぜか、途上国間に差があるのはなぜかという問いに答えようと、形成された学問分野です。ハーシュマンは、国連の開発プロジェクトに多く携わり、その経験から、開発プロジェクトがうまくいく場合といかない場合があるのはなぜかを考察しました。途上国での開発では、様々なリスクが事前に明らかになった場合には誰も投資できなくなるのが通常だが、何らかの要因でリスクが覆い隠されてしまうと投資がなされ、その後問題が発生した場合でも、それを何とか解決しようと予測不可能な頑張りが生まれて、それが結果的に成長のドライブをもたらす「隠す手の原則」を提示しました。普通、市場は透明で情報が行き渡ってオープンである方が良しとされます。情報が不透明な場合の方が、経済発展が望めるというのは、面白い論理ではないでしょうか?

2.伊丹敬之『経営戦略の論理』
私の専門は経済学ではありませんが、恩師である著者の影響で、ハーシュマンの著作に親しむようになりました。ハーシュマンの開発経済学の理論を、経営学の対象である企業組織に応用されています。
経済学の影響下にある経営学では、企業の成功は、その企業が属する産業の構造、その構造の中でどのような位置を占めるかにかかっていると捉えてきました。このような見方は、ポジショニング・スクールと呼ばれますが、それに対して、人的資源に注目し、同じ環境下に置かれていても、人的資源として蓄積された様々な独自能力やその活用の仕方の違いによって成長の仕方が違うとする立場をリソースベーストビュー(RBV)といいます。著者は、このRBV学派の創始者の一人とされているのですが、その発想の元がハーシュマンにあります。合理的には開発のための投資が行われないような場所で投資が行われることによって、思わぬ人的資源の開発が進む。国の発展の理論に、経営学の理論へのヒントが見つかることもある。様々なアカデミックな分野の知見についてオープンな商学部の香りのする、日本の経学のクラシックです。

3 『ブランディング・イン・チャイナ』
国の経済発展とともに市場が成長するとはどういうことか、それをマーケティングの視点から考えてみたいと取り組んだ研究です。圧倒的な所得格差が存在する新興国市場を消費市場として捉えるとき、より優れた品質の製品をより安く生産するという生産概念に基づく輸出モデルは通用しません。現地企業に委託生産して費用削減を図ることはできてもそれだけであれば、現地企業にすぐ模倣されてしまいます。生産以外の領域での創造が次第に重要になる中で、ブランドが大きく注目されるようになりました。モノからブランドへ、顧客価値の源泉が大きくシフトする契機を創ったのが中国市場でした。
ブランド構築は一企業だけの努力ではなく、メディアや広告代理店、各種調査会社等の制度的な発達が必要です。ブランドのような無形資産に対して大きな投資が行われるようになるプロセスはどのようなものか、なぜ、欧米企業は、大規模な広告投資に踏み切れたのに、日本企業は踏み切れなかったのか、振り返ってみると、市場成長の理論につながる問題意識を持っていたことがわかります。

▶経済学部 加納隆先生(一橋大学大学院経済学研究科教授)

専門 マクロ経済学、国際金融論

テーマ グローバル経済の現状と課題

経済学部とは?
経済学とは「選択」の学問である。我々は日々様々な選択を行っている。経済学では、価格や費用など経済環境としての「インセンティブ」を明らかにし、そのもとで経済主体がどのように「最適」な選択を行っているかを問う。さらに「市場」という概念を導入し、選択の結果としての「需給」が一致するように「均衡」で価格が決定される。最適な選択の結果としての市場均衡では社会厚生が最大になっているはずだ。
経済学はこのような選択の理論を通じて、あらゆる社会経済問題に接近する。経済学部の1,2年生がまず学ぶことは、この社会科学の基礎インフラである。
しかしこの選択モデルがいつも現実的とは限らない。ある経済主体の選択が他人の主体の選択に影響を受けることもあるし、直面する経済環境に関してすべての主体が同じ情報を持っているとも限らないし、価格はいつも需給を一致させるほど伸縮的でもない。さらには「いつも最適な選択ができる経済主体」という前提自体も甚だあやしい。経済学部の3,4年生が専門科目で取り組む課題は、それぞれの社会経済問題における現実と基礎理論の間のギャップである。

専門について
私の専門であるマクロ経済学と国際金融論では、個々の経済主体の「選択」の集計として、1国全体の経済がどのように変動し、またどのように世界経済と関係を持ち、1国の経済政策の効果だけではなく、どのような国際的政策協調が世界経済の厚生を高めるのか問う。
1990年代に急速に進展した国際貿易と資本移動のグローバル化は、リーマンショック以降停滞し、世界経済は現在岐路に立っている。グローバル化は発展途上諸国の著しい経済成長をもたらした一方で、所得・資産格差が国内外で顕在化している。さらには資本と労働の急激な国際間移動は、民主主義国家の主権自体を危うくさせ、大衆迎合的政治の世界的な蔓延を招いている。国際金融論は、世界経済が直面する難問に、効果的な処方箋を描くことができるのだろうか?

本の紹介
経済学に触れる上で、まずお勧めするのは
一橋大学経済学部編「教養としての経済学:生き抜く力を培うために」有斐閣
です。経済学の基礎分野と専門分野、また経済学を理解するために必要な数学と語学を、私も含め一橋大学経済学部の教員がそれぞれの専門分野にそくして、高校生と大学1年生を主な対象に、平易な言葉で端的に解説しているエッセイ集です。2冊目と3冊目としては
神取道宏「ミクロ経済学の力」日本評論社
齊藤誠「父が息子に語るマクロ経済学」勁草書房
です。読みこなすのに努力が必要かもしれませんが、どちらも社会科学における経済学の力に触れることのできる良書です。この3冊を通じて「はっきりとした答えの出ない、胡散臭い数学を身に纏った、あまり役に立ちそうにもない疑似科学」という経済学への悪いイメージが少しでも払拭されればと思います。

▶法学部 中西優美子先生(一橋大学大学院法学研究科教授)

専門 EU法

テーマ EU法秩序と英国離脱問題

法学部とは?
一橋大学の法学部は、法学と国際関係論の2本の柱からなっています。ディプロマ・ポリシーで書かれていますように(http://www.law.hit-u.ac.jp/faculty/)、法的な論理思考力と優れた国際的な感覚を兼ね備えた人材を育成することを目標としています。実際、ありがたいことにそのような学生が多いです(記述式の入試問題がそのような学生を選ぶ役割をしているのでしょう)。
後期(3・4年)では、法学コースまたは国際関係コースのいずれかを選択し、より専門的な科目を体系的に学ぶことができるようになっています。法学部は入学定員が他学部より少なく170人であり、先生との距離が近く、特に3、4年でのゼミナールでは少人数教育が徹底されています。2016年度から英語での講義および留学を中心とした、グローバル人材を育成する特別プログラムも開始されます。
法学部の学生は、法科大学院に進学し、法曹を目指す人もいれば(司法試験合格率全国1位)、卒業後、企業、官公庁、マスコミなど多様な職種に進み、そこで活躍します。

専門について
EU法を一橋大学大学院で研究し始めてから、25年になります。特に、EUの超国家性(supranationality)、その中心である権限(competence)の移譲に興味があります。研究スタイルとしては、主にEU司法裁判所等の判決の分析をします。その研究をまとめた本を2013年に『EU権限の法構造』(信山社)、2015年に『EU権限の判例研究』(信山社)として出版しました。
EUのユニークさは、構成国からEUへの権限(主権の一部)の移譲から生まれています。EUの措置(法律のようなもの)は、EU機関(欧州議会、理事会)が移譲された権限を用いて採択します。EU法(EUの措置を含む)は国内法に優位します。今回、イギリスの離脱についてお話ししますが、まさに国民投票では、イギリスがEUに移譲した権限を取り戻すべきかが争点でした。

本の紹介
中西優美子『法学叢書 EU法』新世社 2012年
大学で「EU法」を教え始めて15年目になりますが、授業で配布してきたレジュメを基礎にして執筆した本です。現在は、「EU法」講義の教科書として用いています。2009年12月1日にこれまでのEU諸条約を大幅に改正する、リスボン条約が発効しました。それを踏まえて、できるだけ分かりやすく、EU法の仕組みを説明しています。現在、加筆修正した4刷目が2016年に出版されています。
一橋大学のホームページの「一橋教員の本」としても紹介しています。
http://www.hit-u.ac.jp/academic/book/2012/120419.html

中西優美子編『EU環境法の最前線―日本への示唆』法律文化社 2016年
EU(旧EEC)はもともと経済統合を第1の目的としていましたが、1972年から環境に関する措置を採択するようになりました。1987年に環境分野においてEUに権限が付与されました。その後、国際的な環境保護においても、EUは先導的な役割を果たすようになりました。この本の中で、「動物の福祉」に関する章を執筆しました。EUでは、動物は感覚のある生き物(sentient beings)として認識され、できるだけ苦痛を与えないようにするためにさまざまな措置がとられています。たとえば、EUの化粧品に関する措置を受けて、資生堂等は動物実験をやめることを決定しました。EU環境法の「最前線」に触れてみてください。
一橋大学のホームページの「一橋教員の本」としても紹介しています。
http://www.hit-u.ac.jp/academic/book/2016/160405_3.html

青木人志『日本の動物法』第2版 東京大学出版会 2016年
一橋大学法学部の教員の所属は、正式には一橋大学大学院法学研究科になります。一橋大学は、研究大学院と位置づけられており、教員は、教育と研究の両方を行っています。(一橋教員の本は、大学のホームページのトップにリンクが張ってあります。http://www.hit-u.ac.jp/academic/book/index.html)法学部には、50名あまりの専任教員がいます。それぞれが第一線で独自の研究を行い、その成果を本として出版しています。その中で、最近2016年9月に出版された本が、青木人志先生の『日本の動物法』第2版です。動物愛護管理法が改正されたことを踏まえ、「動物の権利」について、法学の視点から論述されています。一橋大学では、憲法、民法、刑法といった、メジャーな法律とともに、動物法、英米法、中国法、EU法という面白い法分野も専門教員から学ぶことができます。

ロデリック・F・ナッシュ(松野弘訳)『自然の権利』ちくま学芸文庫 1999年
この本の副題は、環境倫理の文明史となっています。文庫としては、ボリュームのある本ですが、その内容はとても濃いものです。一読すると、環境倫理の発展を理解することができるようになっています。日本でも環境保護への意識が高くなり、大学でも環境法が講義されるようになってきました。国内環境法、国際環境法、EU環境法、環境政策、環境と経済など、さまざまな観点から環境に関する講義を聞くことができるようになっています。

▶社会学部 山田哲也先生(一橋大学大学院社会学研究科教授)

専門 教育調査、教育社会学

テーマ グローバル化と教育―学力問題の視角から

社会学部とは?
社会学は、対象範囲が極めて広い学問です。試しにAmazonで(もちろんそれ以外のサイトでも構いませんが)、〜"の社会学"と検索すると、多種多様なテーマを掲げた書籍がリストアップされます。
しかも一橋大学の社会学部には、狭い意味での社会学に限定されない社会諸科学、さらには人文学やいわゆる理系分野までをも含む多様な専門を持つ研究者が所属しています。社会学部の学生に特徴を尋ねると、「学部で何を勉強しているの? と聞かれると、どう答えて良いか分からなくなってしまう(笑)」と冗談交じりの答えが返ってくる「多様性」が社会学部を特徴づけるキーワードです。様々なことがらに関心を持ち、試行錯誤しながら自分がこだわりたいテーマを見つけ、学びを深めてゆきたい人が向いているのではないでしょうか。まだまだ改善の余地はありますが、学生や教員に占める女性の比率が相対的に高いことも、本学部の特徴です。
また、これは私の研究上の関心に起因するかもしれませんが、担当講義やゼミに参加する学生さんを見ていると、富の再配分などの制度上の仕組みを通じてより公正な社会の実現を目指すといった、社会的な関心が強い印象を持ちます。

専門について
私の専門である教育社会学は、社会学の理論と方法を用いて、教育の世界で生じることがらを研究する学問です。この学問は、①教育という特殊な社会領域に固有の秩序とそれが果たす役割は何か、②産業化や民主化など、社会全体の変動過程が教育にどのような影響を与えるのか、③教育の成果が他の社会領域をどう変えてゆくのか、といった問いを探究します。
他の社会学者と同様、教育社会学者の研究テーマも多様です。山田は学校で周辺化される人びと、例えば中退・不登校経験者、貧困状態にある子どもやその保護者などが不利な立場におかれてしまう社会的なメカニズムを解明し、そこで生じる格差を是正する手立てを構想する研究を行っています。

本の紹介
・ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』ちくま学芸文庫、1996年
 1970年代の英国、バーミンガム市の中等学校(11歳〜16歳の子どもが通う学校)を舞台にしたエスノグラフィー(民族誌)。エスノグラフィーとは、研究対象となる社会や集団を密着取材し、そこで観察者が経験したことがらの記録をもとにその社会の総体を再現する物語を紡ぎ上げ、可能な限り内在的に対象を記述—理解する研究手法とその成果物のことで、そこで産出されるテクストは、文学と科学の両方にまたがる性格を有している。
著者のウィリスは、インタビューや観察を通じて学校や教師に反抗する労働者階級の悪ガキ(「野郎どもthe lads」)の日常を活写しつつ、なぜかれらが父親たちのように、辛く厳しい肉体労働を離学後にあえて選びとるのかという謎を探究する。
 「野郎ども」は学校の成績の悪いいわゆる「落ちこぼれ」であるが機知に富んでおり、従順な優等生たちよりもよっぽど学校制度の本質を見抜く目をもっている。同書には「野郎ども」が学校の内外でうまく立ち回る様子が生き生きとした筆致で描かれ、そこに本書の魅力のひとつがある。教師の立場から見ると、かれらの行状は終わりのない悪夢に他ならないが、あらゆる権威をこけにし、自分たちの好きなようにやれる領域を拡大してゆくしたたかな振る舞いとそれを支える洞察の鋭さは思わず感心してしまう水準にある(「野郎ども」と友だちになりたいかと問われると、いささか躊躇してしまうけれど)。
 生徒たちが形成する固有の文化がどのように制度的な力に抗しつつ、結局は学校制度が有する選抜機能を補完することになるのか。選抜と社会化という学校教育が果たす社会的機能の本質を探究する理論的な図式の鮮やかさと、事例そのものの面白さを兼ね備えたこの希有な著作を、教育社会学に興味を持つ方への最初の一冊として勧めたい。

・奥村隆『他者といる技法』日本評論社、1998年/岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社、2015年
「社会について研究する」「社会を論じる」と聞くと、新聞などのマスメディアで報じられているようなある種の「大きな」問題を——例えば少子高齢化やグローバル化について——論評する識者の顔をつい思い浮かべてしまう、そのようなことはないだろうか。自分の身の回りの些細な、ある意味で断片的に生起することがらと、「社会」という言葉で語られる対象とがどのように結びつくのかうまく実感できず、社会を研究する営みやそこで明らかにされる知見が、自分とは直接関係のないよそよそしいことがらに感じられてしまう。社会構造や社会変動など、社会学の営みを支えるいくつかの鍵概念には、どこか大所高所から俯瞰する姿勢がうかがえて、そこに魅力を感じる、あるいは逆に反発を抱く人もいるだろう。
他方で、社会学は他の社会諸科学のように対象をあえて限定することなく社会の総体を研究対象にすえたために、研究対象に観察者それ自体が含まれる「自己言及性」をどのように位置づけるのか、という問題に自覚的にならざるを得ないところがある。別な言い方をすると、極めて私的なことをテーマに選んで研究したとしても、(当然ながらそれも社会を構成する一部なので)社会学になる、ということでもある。
前置きが長くなってしまったが、ここで紹介する二冊の本は、一見すると体系だっておらず、極めて個人的なことがらに思えるテーマについて論じることが、実は社会のあり方を深く問う作業と地続きであることを気づかせてくれる著作である。
例えば、奥村は著書のあとがきでこのように書いている。「この本に書かれたことは、すべて私の自画像である。私という人は、思いやりをもちながらかげぐちをいい、優しい私でありつづけようとして人を傷つけ傷つき、きちんとした人であるために努力しつづけ、人をわからなくてはいけない、人にわかってもらいたいと思って、そのことで少し苦しくなる。私は、いつもこのようなことをしている。そして、そうしたやり方のすばらしさと苦しさを、私はいつも感じている」(奥村1998:260)。
奥村の著作が私的なことがらから出発しつつも社会学の圏内に留まっているのに対し、沖縄や被差別部落の人びとの生活史を研究する社会学者の岸政彦による『断片的なものの社会学』は、エッセイという非学術的なテクストの体裁を取りながらも、学問としての社会学が自己言及性にこだわるのであれば本来ならば論じることが可能な(さらに強くいえば未来の社会学が論じなければならない)ことがらに光をあてる、奇妙な、しかし抗いがたい魅力をもつ著作である。
最初に紹介した『ハマータウンの野郎ども』に登場する「野郎ども」のリーダー、ジョウイという少年は、笑いふざけることの効用についてウィリスに問われ次のように述べる。

 「どうして笑っちゃうのかな。それが大事なわけもよくはわかんないね。ただ……たださ、それが特効薬だって思うぜ、そういうことさ、それでどんなヤバイことからでも抜け出せるもんな。笑うことさえできりゃ、ふざけて笑えりゃね、どんなことがあったってなんとか切り抜けられるもんさ。これは絶対に間違いないな。……ときどきは大笑いしないと、きっと頭が変になっちまうよ」(ウィリス1977=1996:77-78)。

この一節を再読した時に、私は『断片的なものの社会学』に収録された「笑いと自由」という文章を想起した。ある地方議会で、女性議員への深刻なセクシャル・ハラスメントとなるヤジが飛ばされた時に、「その女性議員がかすかに笑ったこと」(岸2015:94)の意味はいったい何だったのか、と考えることから始まるエッセイである。
 なぜ、思いやりを持ちながらも、それでも陰口を言ってしまう私について語ることが社会を論じることにつながるのか。英国と日本、時代も場所も大きく異なる社会の双方で「笑い」がもたらす自由とは何か。その答えに興味をもった方は、ぜひこの二つの著作を手にとって確かめていただきたい。書物を閉じたあと、理解することすら難しい、そのような他者に向けられた繊細な社会学的想像力が何を可能にするのかを知ることになるだろう。ちなみに、安易に答えを出さない姿勢という点でも共通する本である。