ぽん吉
はじめに
今年は、一橋祭史上初めてオンラインでの開催となり、一橋祭の歴史に残る回となるでしょう。一橋祭の節目として過去を振り返るいい機会かもしれません。そこで今回は、これまでの一橋祭を振り返る、懐かしい一橋祭の姿をご紹介します。
さて、一橋祭の起源を探ると明治時代にまでさかのぼることになりますが、今回は戦後~現在までの一橋祭を、写真を交えながら振り返ります。
目次
1. 戦後〜1960年代 戦後一橋祭のあゆみ
1946年11月3日、日本国憲法発布記念式後、「復興祭」が催され、運動会・慰霊祭・音楽会・演劇会・書道展等が行なわれました。これが、戦後1回目の「一橋祭」でした。
戦後の一橋祭では、運動会やビアパーティーなどの企画もありましたが、研究発表や社会問題への意見の場という性質が強く、研究発表や討論会、講演会が盛んに行われていました。
1960年代を通じて少しずつ参加団体が増加していきますが、1969年、学園紛争により本館が閉鎖され、この年の一橋祭は中止となってしまいます。
下の画像は、当時の展示企画の様子です。2枚目の写真は、おそらく西本館の37教室と推定されますが、現在はトイレに改修されています。

1961年当時の写真

現在の「一橋運動会」
2. 1970年代 新生一橋祭時代の幕開け
1970年、新組織として「一橋祭運営委員会」が登場し、今に続く伝統が始まりました。この年の一橋祭は、戦後から続いた一橋祭からの大きな方向転換を図り、学生のみならず、市民の方も参加する賑やかなお祭りとなりました。また、このころから、天下市やくにたち秋の市民まつりとの合同開催が行われることになります。
1975年の第6回一橋祭では、一橋大学の創立100周年を記念して、10月30日から11月3日までの5日間開催され、ノーベル経済学賞を受賞されたK・J・アロー氏の講演会や、野外ステージを利用したジャズフェスティバルなどが行われました。

1971年の兼松講堂前

現在の兼松講堂前
図書館前にある池には、1970~80年代前半にかけて水上ステージが設営されていました。80年代後半になると水上ステージはなくなってしまい、近年では、水が抜かれ大きな立体装飾が置かれるようになっています。

水上ステージ

立体装飾

1970年代の西本館

現在の西本館