委員のインド生活記②

皆さんご無沙汰しております。ご無沙汰してますと言ったものの、ご無沙汰かもしれないしご無沙汰ではないかもしれません。この前インドについて書いていたものです。まだ読んでない方がいらっしゃったら、ぜひ先にそちらを読んでからこっちを読んでください。自分は1本目を書き終えてすぐにこの文章を書き始めております。それだけ過去に思いを馳せるのは幸せな時間なのです。懐古厨と言われればそれまでですが、過去のつらかった出来事も思い出や経験として振り返ることができることは美しく素晴らしいことだなと思います。また、今が息苦しくなった時に自分を支えてくれるのも、これから先目指すべき方向を指し示してくれるのも、これまで自分が歩んできた轍なのです。さて、18の若造が何をつらつら言っているんだと皆さん感じたと思うので、そろそろインドについて書いていこうと思います。

知っている方も多いと思いますが、インドはヒンドゥー教の国です。そのせいで市場に牛肉が出回ることはなく、何ならイスラム教徒への配慮から豚肉の流通量も少ないです。インドにはベジタリアンも多く、ここまでの話だとインド飯はさっぱりした印象を受けるかもしれません。実際、一般的なインド人が普段食べているカレーはほうれん草や豆ベースのものが多く、正気でないほど辛いことさえ除けば体がおかしくなるなんてことはありません。しかし、インド人が日本人をもてなす料理となると話は別です。インドには脂っこい飯であればあるほど手厚く歓迎しているという謎の価値観があり、我々のような外国人がカレー屋やインド人の家に行った際にはこれでもかというほどバターが使われたカレーの上に2cmほどの油の層がのっかった恐ろしい食べ物がでてきます。食べているときは濃厚なのにいろとりどりのスパイスが口の中ではじけ、めちゃくちゃおいしくて幸せなのですが、家に帰るとこれまたとんでもない胃もたれになります。自分は月に一度食べるか食べないかくらいだったので特に困りませんでしたが、週に2回も3回も接待等でインド飯を食べていた父親は日本に一時帰国するたびに胃薬をスーツケースいっぱいに買い込んでいました。

脂っこさは勿論ですが、先ほど若干触れた辛さについても書かなければなりません。日本で食べる辛い物は唐辛子系やワサビ系などと頭で理解できる辛さですが、インドの辛さは何十種類もスパイスをブレンドして作られた、辛さと辛さを重ね重ね混ぜ合わせた究極の辛さなのでまず脳みそが機能停止します。その上、インドの辛さはCoCo壱番屋の10辛がデフォルトなので、「辛さ控えめ」といった中途半端な注文では舌をぶっ壊されます。「辛さゼロ」と言って初めて日本人でも食べれる辛さに落ち着きます。ちなみに、インド人は「辛さ増し」という呪文のような注文をしばしば行います。もし世界から刺激物以外の食べ物が消えたら最後まで生き残るのは多分インド人でしょう。

インド人の大好きな言葉にno problemというのがあります。皆さんご存知のように、問題ない、という意味なのですが、彼らは例えどんな大きな問題を抱えていたとしてもno problemと言い張ります。ドライバーさんは、寝坊して出勤時間に2時間遅刻したせいで父が会議に遅れた時、何故か笑顔でno problemと言っていましたし、お手伝いさんも塩と間違えて味噌汁に砂糖を入れた時no problemと言っていました。これだけだと無責任に聞こえるかもしれませんが、ダムの上流で暴動が起きてデリーが3日間ほど断水になった時も周りのインド人は皆no problemと言っていましたし、脱税している富裕層を取り締まるために最も高価な紙幣であった500ルピー札を半年後以降使えなくすると政府が発表して経済が大混乱していた時もno problemと言っていました。父がインドで仕事をするにあたって大事なのは向き不向きではなく前向きであることだと言っていたのですが、それもそのはずです。インド人は水道が3日止まっても笑顔で前向きに生きているのです。彼らを相手にウジウジしていては何も始まらないし、何よりつまらない。皆さんも難題に直面した時、インド人に倣ってno problemと笑い飛ばしてみましょう。

これまでの文だけではインドは汚い場所しかないという印象を与えかねないので、インドにも美しい場所が沢山あるということも書かねばなりません。例えば、聖なる川であるガンジス川が入るだけで性病になるほど汚いというのは有名な話ですが、上流の川と山々はとても美しいです。学校の課外授業で上流から中流まで2泊3日でラフティングするというものがあったのですが、日の出も夕日も何もかもが美しかった記憶があります。空気汚染と道中のゴミに囲まれたデリーから突然解放されたその3日間の景色に勝つ絶景を、未だ僕は見たことがありません。他にも、ヘナタトゥーという2週間ほどで消える染料で腕に模様を描く文化はとても魅力的でした。道路の外れで野菜やお菓子を買う店の中にヘナタトゥーをしてくれる店があり、天井もない店で腕に芸術を描くのです。インドの女性用の民族衣装であるサリーもインドの美を象徴する一つのものでしょう。インド映画をイメージすればわかると思いますが、あのキラキラとした装飾が施されたカラフルなドレスをサリーといいます。男である自分にはよくわかりませんが、40を超えた母親が目をキラキラとさせてサリーを選んでいたのを見てこれは凄いものなんだろうなとなんとなく感じました。他にも色々美しいものはありますが、インドの中にある美しさは他がドブのように汚い分より際立って美しいのです。エンジェルスの中の大谷みたいな感じです。

前回はインドのお祭りとしてディワリを雑に紹介しましたが、今回はホーリー祭を雑に紹介します。お前は雑にしか説明できないのかと思うかもしれませんが、宗教上どういったお祭りなのかなんてことはインドに住んでいたら1ミリも気になりません。というのも、このホーリー祭というのは赤,青,緑,黄色といった様々な色のついた粉を目に入った全ての人や物に投げつけるお祭りなのです。どんな宗教上の理由があってこんなイカれた事をするのかは謎なので、興味のある人は検索してみてください。取り敢えずこのお祭りに例外はありません。日本人の小学生だろうが、外交官ナンバーの白い車だろうが、インド経済を動かしうる大企業の社長だろうがお構いなしにカラーパウダーが飛んできます。ホーリー祭の日にうちのドライバーは何度も何度も車を汚されてはno problemと言いながら洗車していました。洗車している途中に粉を投げつけられて、際限がないことに気づき諦めていましたが、多分毎年毎年同じことに気づいて翌年になると忘れているのでしょう。粉を投げるのは子どもだけでなく、髭面のおじさんも杖ついたおじいちゃんもみんな仲良く投げるのです。ちなみに、この文化はめちゃくちゃ楽しいので日本にも是非輸入されて欲しいです。

今回はインド文化を中心にお届けしましたが、いかがだったでしょうか。当たり前の話ですが、我々は皆同じ人間なのに住む場所が違うというだけで食べる物も喋る言葉も何もかもが変わるのです。文化の数だけ別の歴史があり、別の価値観があります。机の上や本の中でどれだけそれを勉強しようとしても文化は学べません。自分の価値観と別の文化を持つ人の価値観が共鳴したとき、はじめてその文化を学んでいると言えるのだと僕は思います。まずは身近な留学生でも飲み屋で隣の席に座った外国人でも、とにかく誰でもいいのでたくさん話してみてください。没個性と言われる現代日本の中で自分の価値観以外の価値観を受け入れ、多くの物差しを持つことは絶対にあなたの武器になります。さて、最初から最後までこの18の若造はなにを偉そうに語っているのでしょうか。取り敢えずこの辺で今回は終わろうと思います。次も読んでね!

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