【委員リレーvol.1】嘘みたいな本当の話 〜怪我と病気の半年間〜

はじめに

皆さんこんにちは。
3年生委員のボーちゃんです。

1年生も入会し、本格的に今年の一橋祭に向けた準備が始まってきたところで、新連載を始めようと思います!

その名も……

WEBマガジン委員リレー!

委員が委員会活動に限らず、さまざまなことを好きに書いて次の人につなげていくというものです。某野球雑誌で行っていたもの(現在は読まなくなってしまったので分かりませんが……)から発想を得ました。
編集長から「その案採用するけど、初回はもちろん書いてくれるよね?」とのお言葉をいただき、記念すべき初回執筆者に任命されたもののなぜかここまで書いてきませんでした。その間2ヶ月。この場で編集長に謝っておきます。書く書くって言っておきながら2ヶ月書かなくてごめんなさい……。

では初回に何を書くか。委員会活動に限らないと言っておきながら初回に委員会活動のことを書くのは反則ですよね。もちろん分かってます。

記念すべき初回は、題して「嘘みたいな本当の話〜怪我と病気の半年間〜」です!!!

コイツは何を言っているのかと思われるかもしれません。私はこの半年間、怪我や病気をコンスタントに、しかもタイミングが悪いときに積み重ねてまいりました。この記事でその全てを供養させていただきたいと思います。笑い話として読んでいただけると嬉しいです。

2022年10月 ~全てはここから始まった~

忘れもしない10月25日。私は深夜にお手洗いに行きました。私は当時お手洗い、シャワー室、キッチンが共用の寮に住んでいたので自分の部屋から出なければならなかったのです。その帰りのこと。通路に置いてあった筋トレマシンが自分の想像よりも道の真ん中にあったらしく右足薬指を強打。すぐに部屋に帰って保冷材で冷やすも内出血は収まらず。これまでも何回か亀裂骨折をしているため骨にひびが入っていると悟り翌日病院へ行くことに。予想通り亀裂骨折と診断され3週間固定することに。添木が隣の指ではなく薬指の下に金属を添わせる形だったため、歩くと全体重が薬指にかかってとても痛かったです。もはや右足薬指を浮かせて歩いていた記憶。この頃は一橋祭までに固定が取れると思っていたのでなんとも思っていなかった……。

11月 ~悲劇~

11月7日。この日で私の運命は大きく変わりました。午後からオンラインで委員会活動があったため、11時頃に起きた私はシャワーを浴びようと部屋を出てシャワー室に向かいます。しかし先客がいたため部屋に戻り、出たころを見計らってシャワーを浴びました。ここまではいいんです。ここまでは。

部屋に戻ろうとシャワー室を出たそのとき、先客が歩いた後に落ちていた水滴を豪快に踏んでしまったのです!! 動画を撮っておきたかったなぁと思うほどきれいに滑ったであろう私は左肩を床に強打。世界が回るとはこういうことなのかと思いましたね。落ちるときの景色は今でもスローモーションで鮮明に思い出せます。この時点で左肩には違和感がありました。今考えると関節が本来あるべき位置からずれている亜脱臼のような状態だったのだと思いますが当時は「大したことないかな〜」としか考えていませんでした。そして反対側の右手をついて立とうとした瞬間、「ゴリッ」という鈍い音とともに左肩に今まで感じたことのない激痛が走ります。左肩が完全に脱臼した瞬間でした。関節が完全に外れてしまったのです。すぐに部屋に戻りベッドにうずくまって痛みに耐えること数分。このままの状態だと痛みに耐え続けるだけだと思い、外部に連絡を取ろうと寝たままの状態でスマホを探します。幸い手が届くところにスマホがあったので寮の本部に電話、スタッフの方が来てくれました。事情を説明すると救急車を呼んだ方がいいと言われ、私は20年の人生で初めて救急車を呼ぶことになりました。案外冷静に救急車は呼べたのですが、救急車のサイレンの音を聞いて「自分が乗る救急車だ……」と思うのはなんともいえない気持ちでした。

そして救急隊が到着。左肩を触ってもらったところ、信じられないほど柔らかかったです。よく考えると本来関節があって固いはずの場所に皮しかない状態なので当たり前のことですが。その後体温、血中酸素濃度、血圧などの測定や意識確認などをしてもらいながら病院の手配が始まりました。すぐ近くの病院に受け入れてもらえることになったのは良かったのですが、問題はここから。肩が外れると動かすのも痛いのですが、病院に搬送されるためには当たり前ですが寝ている状態から起き上がる必要があります。そのため、救急隊の助けを借り、絶叫しながら激痛に耐えて体を起こすという二度と行いたくない動作を行いました。しかもストレッチャーが建物の1階までしか入れなかったとのことで、救急隊に両肩を支えてもらいながらエレベーターを使って2階から下りました。その際に救急隊の方から「この寮って一橋の学生さんしかいないの?」と言われ、「電通大とかの学生もいますよ〜」という雑談をしました。肩を脱臼して両肩を支えてもらっているとは思えない平和な会話ですね(笑) その後救急車に乗せられますが、ストレッチャーで運ばれていても本当に動いているのか?スロープを下っているのか?と思うくらい何も振動を感じませんでした。プロってすごい。

そして病院でレントゲンを撮るわけですが、これも一筋縄ではいきません。なぜなら自力でストレッチャーからレントゲンの撮影台に移ることができなかったからです。横になった状態で撮影するタイプのレントゲン撮影台のそばにストレッチャーがつけられ、ストレッチャーの方が高くなっているのに、です。要は寝返りが打てないわけです。そのときに役立ったのが私が被っていたタオルケット。風呂上がりで薄着だったため、救急隊の方が部屋を出るときにかけてくれたものです。それを救急隊の方とレントゲン技師さんの4人がかりで持ち、私をレントゲン撮影台に移してくれました。何とまぁ無力なことか。そんなこんなで診察室に戻り左肩の完全脱臼と診断されるわけですが、本当にきれいに肩関節が外れていました。ネットで「肩 完全脱臼」と画像検索したら出てくる画像そのまま。そりゃあ痛いわけだ。その後整復して関節を戻してもらい、三角巾で固定することになりましたがその期間は3週間。11月7日から3週間後は11月28日。一橋祭は11月18日〜20日。そして私は重大なことに気づくのです。

「一橋祭期間中も左肩は三角巾で固定されてる!!!!」

はい。ショックでした。しかも足の固定もまだ取れていないというのに。ちなみに翌日は足の状態を診てもらう日だったので、三角巾で左肩を固定しながら左足の薬指の状態を診てもらうために整形外科に行くという意味不明なことをしました(笑) 先輩に「左肩と左足。満身創痍ならぬ半身創痍だね」と言われた記憶があります。

12月 ~まだ終わらない~

無事に11月末に三角巾も外れ、もうこれ以上悪いことは起こらないだろうと思っていたところ、年末にインフルエンザになりました。年末だからまだマシだと思ったそこのあなた!運悪くその数日間は期末テストや友達と遊ぶ予定が詰め込まれていました。もちろん全てキャンセル、しかもインフルエンザは隔離期間もあるため年が明ける前に実家に帰れることを祈りながら寮の自室で過ごすことになりました。無事に31日に帰れたので良かったですが、同じタイミングでインフルエンザになった下宿の同期は1人で寂しく年越しをしたそうです。ドンマイ。

2023年1月 ~心機一転したのに~

年も変わって心機一転、今年こそ健康に過ごそうと思っていたところ、1月中旬にコロナにかかりました。寮にいたのでもちろん隔離。そのため食料や必要なものを持って別室に引っ越しました。その際に実家に食糧を送ってもらうように頼み、東京都の食糧支援も申し込みました。その結果がこちら。

大きな段ボール2箱が東京都からの物資です。重すぎ。肩抜けるかと思った。もちろん隔離期間中に食べきれるはずもなく、自室に帰るときに持って帰りました。重かった……。このときに「年が変わっても災難が降りかかってくるのはまずい」と思いましたね。

2月 ~平和な1か月~

なんと2月は何もありませんでした。大きな出来事といえば寮から実家に引っ越したことくらい。非常に良いことなのですが、なんと私の目の前でリンボーダンスをしていた友人が骨折した可能性があります。非常によく分からない書き方になっているのは、友人が頑なに病院に行くことを拒み、結局正確な診断を受けていないためです。机の角に足をぶつけて、小指の色が変わって痛いって言ってたから確実に骨にひび入ってる気がするんだけどなぁ……。治ったって言ってたからまぁいっか。

3月 ~厄除け月間~

3月は数回旅行に行きましたが、その中で私は厄除けを強く意識していました。友人と那須に行った際は班行動の際に佐野厄除け大師に寄ってもらい厄除けのお守りを購入。

さらにその2週間後に京都に行った際は宇治神社で八方除けのお祓いを敢行。皆さんが想像されるようなお祓い棒を頭上で振ってもらう形でお祓いを受け、家を守るお札と自分を守るお守りをいただいて帰ってきました。

お祓いをしてくださった神主さんが「宇治神社は方位除けの神様で、今年はとても強い神様です」とおっしゃっていたのでこれで今年こそは大丈夫!めでたしめでたし……。で終わる予定だったんですよ本当は。しかしこの記事を書いているのは5月7日。悲しきかな、お祓い後の4月、5月にも私に降りかかる災難が止むことはありませんでした。ということで4月、5月の災難をどうぞ。

4月 ~脱臼癖~

4月2日の朝。起きると腹痛と倦怠感に襲われました。その日の予定をすべてキャンセルして布団で横になっていたのですが、午後になると発熱。38℃まで上がったため氷枕を用意してもらい頭を冷やしつつ横になっていました。ここで私は額を冷やそうとうつ伏せになりました。これが運の尽き。仰向けになろうと寝返りを打とうとした瞬間、嫌な音とともに左肩の関節が外れました。冷えピタ貼っとけよという話なのですが。しかし肩が外れてしまった以上自分で動くことはできません。実家に引っ越していたので、そばにあったスマホを手繰り寄せて家にいた父親に電話をかけて部屋に来てもらいました。ここで大きな問題が。私は38℃の発熱をしていたのです。可能性は低いですがコロナの疑いもあるということで先に救急相談センターに電話をかけて相談してくれることになりました。すぐに救急車を呼べなかったんですね(笑)

結局救急車を呼ぶことになり、救急隊の到着後は先述の通り意識確認などが続き、病院の手配が始まります。これも難航しました。なぜなら私は38℃の発熱をしているからです。すなわち、普通なら整形外科だけでいいところを内科と整形外科を同時に見てもらえる病院を手配しなければならないわけです。至極面倒な患者ですね。無事に受け入れてくれる病院も決まったところで、大問題の寝返りを打つお時間です。私の寝室は3階にあるのですが腹痛があるということで、お手洗いが近い2階の両親の寝室で寝ていました。両親の寝室は2人分のベッドが並んでいるため、寝返りを打てるスペースは広いです。それを踏まえて救急隊の方から2つの選択肢を提示されました。

①寝返りを打ったうえで起き上がり、肩を借りながら家の玄関につけてあるストレッチャーまで歩く。
②ベッドの空いているスペースに布製の担架を敷き、寝返りを打ってその上に乗り、ストレッチャーまで運んでもらう。

私は②を選択し、布製の担架が用意されました。さぁいよいよ激痛に耐える寝返りです。救急隊の方から「自分のペースで寝返り打ってね。肩を動きに合わせて持っていくから。」と言われ、激痛に耐えながら寝返りを打ったところ、仰向けになった瞬間に「コリッ」という音がして肩から痛みが消えました。亜脱臼の状態だったことと、うまく体の動きに合わせて肩を持ってきてくれたことに加え、担架を抑えていた方の膝に私の肩が当たったためだと思われます。しかし、完全に入っているかは分からなかったのでそのまま人生2度目の救急車へ。

病院に着きましたが、すぐにレントゲンを撮れたわけではありませんでした。なぜなら私は38℃の発熱をしているからです。そのため、先に内科の診察を受けることになりました。しかも搬送されたのは日曜の20時前。ちょうど病棟を回って患者さんの問診をする時間と被ってしまったらしく、長時間待つことになりました。スマホを持っているわけもないのでずっと天井を見つめてぼーっとしていると内科の診察が始まりコロナの検査の陰性を確認、胃腸炎との診断を受けました。しかしまだこれで終わりではありません。私が搬送されたのは肩が外れたからであり、内科の診察は前座なのです。その後レントゲンを撮影し、天井を見つめて待っていると整形外科の先生がいらっしゃいました。救急搬送されて2人の先生に診察してもらうって何事って思っちゃいます(笑) そして告げられたのは衝撃の診断結果でした。

「うん、きれいに入ってるよ。」

え??? きれいに入ってる????? そんな感覚なかったのに? 寝ていたところをそのまま搬送されたため視力0.01の裸眼で懸命に画像を見たところ確かにきれいに入っていました。知らんけど。ということで、固定も何もされずに診察は終了、整腸剤だけをもらって帰るという結末になりました。しかし、整形外科の先生は「たぶん脱臼が癖になってる。また脱臼したら手術しな。今の段階でも手術を選択肢に入れていいと思う。」とおっしゃっていたので手術も考えなきゃな……という感じです。

5月 ~歴史は繰り返す~

5月7日4時45分。寝室で寝ていた私はうつぶせの状態で目が覚めました。この時点で察しの良い方はこれから起こることがお分かりになったのではないでしょうか。枕と反対側に頭があったので体の向きを反転させるために寝返りを打とうとしたところ、例の場所から例の嫌な音がしました。関節が外れるときって外れるほうの関節が浮く感覚になるんですよね。どうでもいいけど。ということでそばにあったスマホを手繰り寄せ、2階で寝ている両親に電話をかけました。両親は鬼のような形相でやってきました。心配しているというよりは早朝に起こされた不快感とまた肩が抜けたという呆れの感情が大半を占めていたように思います。首を動かすと肩が痛むため、顔を見られてないので本当のところは知りませんが。

例のごとく救急車を呼びましたが、今回は事務手続きが簡略化されていました。3度目ともなると細かい変化にも気づくものです。そもそも半年で3度も救急車を呼ぶな。しかし、今回は右肩がベッドのギリギリにあり、寝返りを打てない状態だったため肩を支えてもらいながら両足を地面について立つことになりました。耐え難い激痛に絶叫しながら足を地面に下ろして立つと、なんと肩がはまりました! 確かに今回は感覚的に今までで1番はまりそうな外れ方だったのでこれには納得です。納得できるほど脱臼してるって意味が分かりませんね。その後に病院の手配が始まりましたが、もはや急を要する場面ではないため雑談タイムに。私は大のベイスターズファンなのでグッズを部屋に飾っているのですが、

隊員A「横浜ファンなんだね。今年強いよね。」
隊員B「そうなの?」
隊員A「そうです。今首位ですよ。」
私「そうなんですよ!今年こそは四半世紀ぶりに優勝できる気がしてます!!」

という相手が救急隊の方とは思えないほどの平和な会話をしているうちに手配が完了。しかし脱臼がはまっているため病院に行ってもレントゲンを撮らない可能性が高いという説明を受け、なんと救急車に乗らずに家で様子を見ることになりました。救急隊を呼んで救急搬送されない場合は同意の署名をするという決まりらしく、裸眼0.01の視力で署名しました。救急隊に来てもらったにもかかわらず救急搬送されないという謎の結末を迎えたわけですが、本当に脱臼が癖になったことを実感しました。ショック……。

おわりに

半年間の私の怪我と病気をまとめてみたわけですが、改めて書くとしょうもないものばかりです。そもそもここまで読んでくださった方がいらっしゃるのか怪しいですが。
ちなみにこの記事を書いているのは5月7日15時。そうです、5月の災難は今朝、10時間ほど前の私に降りかかったものです。本当は6日までに書き上げたかったのですが、間に合わなかった結果記事の内容が増えるというよくわからないことになってしまいました。早めに手術しようかなぁと思います。もう脱臼したくないと思うばかりです……。

お忘れかもしれませんが、この記事は委員リレーの記念すべき初回でした。ということで、次は昨年、私の直属の後輩だったうなぎパイ君に回したいと思います。彼も野球好きかつ熱狂的な阪神ファンなので私たちの話の8割は野球に関することです。ここまで書くと彼に野球関連の話題を書くことを強制しているように見えますが、そうじゃないからね! 自分の書きたいことなんでも書いていいんだよ!! 彼は文才があるので次の記事(いつ上がるかわかりませんが……)が楽しみです。それじゃあ、よろしく!

以上、ボーちゃんでした。それでは~