どうもおはようございます。こんにちは。こんばんは。はじめましての人ははじめまして。とある委員の海野と江角です。今日は、昨年度私たちが企画したアームレスリング大会についての話をしたいと思います。なぜそんなことを話そうかと思ったのかいうと、率直に言えば供養ですね。まあ、そこのところも含めて書きたいと思います。
皆さん、一橋祭でアームレスリング大会が開催されていたのをご存じですか?恐らく多くの人は知らないでしょう。悲しいですねえ。そんなことはさておき、実はアームレスリング大会は去年で8回目という恒例企画でした。8年前の委員の思い付きで開催され思いのほかの盛り上がりを見せた結果一橋祭の恒例企画となりました。しかし、そんなアームレスリング大会。来年は開催されないそうなんですよ。ちょっと小耳に挟んだ情報なのですが、昨年度の企画者が来年は開催して欲しくないとぼやいた結果、開催しないという結論に至ったそうです。開催して欲しくないって何があったのでしょうか?
前節で白々しく書いたのですが、開催して欲しくないとぼやいた企画者って僕たちなんですよねー。この節ではそこらへんの紆余曲折というか、去年の苦労を書きます。興味ない人はどうぞ他のWEBマガジンへ。一橋祭ラジオなんかもおすすめですよ。癖しかない菅野くんと菅野くんより癖のある藤井さんがパーソナリティをしていて面白いです。ぜひみてください。お二人さん。媚びを売ったのでどうか良しなに。
僕たちが今年はアームレスリング大会を開催して欲しくないといったのは、昨年度だいぶ苦労したからなんですよね。苦労っていっても筆舌しがたいもといWEBマガジンには書けないような愚痴が飛び交ってしまうのであまり言うことが出来ないのですが、単刀直入に言えば僕たちは出場者集めに苦労しました。いや、ほんとに。もうやりたくないと思うぐらいです。
アームレスリング大会というぐらいですからそこそこの出場者が集まってくれないといけないのは皆さんもおわかりでしょう。しかし、昨年度のアームレスリング大会。びっくりするぐらい人が集まりませんでした。昨年度は募集期間が9月12日から10月15日の約1か月間あったのですが期間内に集まったのはたったの5人です。ちなみにもともと求めていた出場者は24人です。ぶっちゃけた話、一橋祭運営委員会関係者が2人いるのでそれを除いたら本当に自然に集まったのは3人ですね。情けねえ。
出場者の集まらない大会を開催する価値はあるのか?切実に思いました。まあ、こんなことがあり軽く心が折れました。募集期間が終わってからこれからどうしようと企画者は嘆きました。先輩や友達にも頼って人を集めました。まあ、はい。本当に疲れました。ネガキャンは良くないですね。みなさんはポジティブに生きましょう。
なんとなくですが、もう既に多くの読者がブラウザバックしている気がします。ここまで読んでくれているのは一橋祭運営委員会の人と相当なもの好きだけでしょう。せっかく読んでくれている読者を物好きと言うのは失礼ですね。ごめんなさい。まあいいや。
そんな訳で誰も読んでないだろうと思いつつ虚空を眺めながら面白い話でも書きます。上で散々苦労したみたいなことを書きましたが、昨年度1年間で面白いこともあったんですよ。そりゃあ何もなかったら今頃法被を脱いでステージで踊っています。
これはとある元委員Fについての話です。元と言っても昨年度までは僕たちと同じ第8回アームレスリング大会の企画者の一人です。彼女は一橋祭運営委員会の委員でありながら3つだか4つだかのサークルを兼サーする超ハイスペックうーまんです。話がそれましたね。いや、それてないですけど。
昨年度のアームレスリング大会、出場者が集まらなくて苦労したと言いましたよね。実はですね……
出場者16人を集めることが出来ました!!
察しの良い御方なら気が付いたかもしれませんが、そうです。実はこの16人のうち10人を元委員Fが集めました。ぱねぇ……
16人中10人だとすごさがわからないと思うのでもう少し説明します。アームレスリング大会は文化系のセミマッスル部門、男子運動系のガチマッスルボーイズ部門、女子運動系のガチマッスルガールズ部門の計3部門で構成されていました。なんとですね。元委員Fはセミマッスル部門の出場者6人中5人、ガチマッスルガールズ部門の出場者5人中5人を兼サー先から一人で集めてきました。言うなら、一人でアームレスリング大会を開催したようなもんです。某有名な力士みたいに自分の名前も冠した大会にしていいかも知れません。もはや、セミマッスル部門じゃなくてセミF杯。ガチマッスルガールズ部門じゃなくてF杯です。
オチが見つからないのでひとつ。
もつべきものはやっぱり人脈のある友達ですねえ。
面白い話とか言ったのに面白くねえ?僕もそう思います。許してください。僕は国語の偏差値30なんです。ここから先は同じアームレスリング大会企画者の江角君が書いてくれるので面白いはずです。ただ、ここまででほとんどの人がブラウザバックしてしまったので申し訳ない限りです。
バトンタッチされました。ここでは今大会のガチマッスルボーイズ部門の優勝者についてのある逸話について話していこうかと思います。彼は僕たちのコネではなく、普通にこの大会に参加してくれた数少ない出場者の一人です。本当にありがたやぁ。彼はめちゃくちゃ強かった。強すぎた。圧倒的すぎてどの試合も一瞬で雌雄を決していました。恐ろしいですね。うちの委員会のマッチョな委員長のこともボコボコにしてくれました。マジ卍!!!
そんなかんやで彼は余裕で優勝しました。まあここまでは普通の話ですよね。ですが、彼は大会の序盤にこう意気込んでいました。「サブタイトルを見て参加しました」と。ありがたいです。そのサブタイトルを考えたのは誰でもない僕なんですから。正直うれしかったです。ちなみに第8回アームレスリング大会のサブタイトルは「俺よりマッチョな奴に会いに行く」です。かっこいいですよね。アームレスリング大会にふさわしいサブタイです。
さあここで気づいた人もいるんじゃないでしょうか。はいそうです、優勝者の彼は「自分よりマッチョな奴に会いたいなー」と思って参加してくれたんですが、蓋を開けてみると自分が一番マッチョだったんですよね。「俺よりマッチョな奴」はいなかったんです。僕たち企画者は正直ツボにはいちゃいました。後日爆笑の嵐。よく筋トレしていると言っていたので、今頃また筋トレでもしてるんでしょう。そういえば決勝前の意気込みで募集していた筋トレ仲間は見つかったでしょうか。彼は2年生だったんですが、彼が3連覇する世界線が見られないことが企画者として唯一の心残りです。
さっきの話でサブタイトルの話が出てきたんでせっかくだから歴代のサブタイトルを振り返ってみましょう。ちなみに僕たちが過去資料を少し漁っただけなので、間違っている可能性もありますが、ご了承ください。
第1回はフェスオリジナル企画として誕生したので、そもそもアームレスリング大会という名称ではなかったようですね。ちなみに企画名は「二人~うみんちゅ~」です。ちょっと意味がわかりませんが、本人たちにしかわからないこともあるんでしょう。
第2回で始めて「アームレスリング大会」という名前になったようです。なので、特にサブタイトルとかはいらなかったのでしょう。さすがになしは味気ないので、誠に勝手ながら第8回の没案でも採用させていただきます。
第3回以降、それまでのアームレスリング大会との区別化を図るためにサブタイトルが付けられるようになったのではないかと考えています。実際のところは知りません。ということで歴代のサブタイトルはこんな感じになったようです。
どれもかっこいいですね。個人的には第7回が一番好きです。
再び登場する海野くんです。恐らく僕の駄文の後に残った僅かな読者は、江角君が超絶面白い文章に腹を抱えて笑っている事でしょう。いやあ、どんなに面白いことを書いてくれたのでしょうか。実は僕がこの文章を書いている時にまだ江角君は文を綴ってくれていないんですよね。情けねえ。
(と言われたので、江角も書きます。アームレスリング大会は8回の歴史(と呼べるものなのか?)に幕を下ろします。しかし、この8年間が消えることはありません。出場者・スタッフその他大会関係者の皆さま本当にありがとうございました!またいつかアームレスリングがオリジナル企画として復活してもいいのかなと思います。それでは。)
まあ、そんなことはいいのですよ。皆さん、このWEBマガジンを読んでいて一度でも共感できることはあったでしょうか。人生の為になることはあったでしょうか?もしそんな一文一単語があったら書いた二人も報われます。最後を長く書くのは良くないので皆さんに一言送って締めくくります。
過去の話なんて笑い話にしようぜ。ばいばい!