皆さんおはようございます。こんにちは。こんばんは。初めまして一橋祭運営委員会1年の海野と申します。突然ですが、皆さんは春休みをどうお過ごしですか?私は口を開けば”先生大学どこ?”と聞くことしか能がない高校生に勉強を教えたり、わざわざ自宅から往復3時間かけて教習所に通ったりして無意味に時間を溶かしながら過ごしています。大学生らしくストレスフルで本当に楽しい毎日です。前置きが長くなってしまいました。さっさと本題に入った方が良いですよね。はい、ごめんなさい。面白くなかったらどうぞブラウザバックしてください。多分他の委員が書いている文章の方がよっぽど面白いと思います。自分で書いてて思ったのですがインド体験記の方がよっぽど為になるし面白いです。おすすめなのでぜひ読んで欲しいです。では本題へGO。
これは一橋OB・OG、在校生そして一橋を目指して日々邁進している受験生に対しての質問です。
皆さんは二次試験の社会科目として何を選択しましたか?
私は倫理、政治・経済(以下、倫政)を選択しました。もしかしたら今の受験生は二次試験の社会科目として倫政を選択できたことを知らない人もいるかもしれませんね。ネットで調べてみると二次試験で倫理を使える大学は筑波大学、東京学芸大学、信州大学、高崎経済大学、神戸市外国語大学、そして長崎大学の計6大学だけだそうです。二次試験の科目としてはそのぐらいマイナーな科目です。一橋もそんなマイナーな科目で受験することができたのですが、2021年度入試を最後に廃止してしまいました。悲しいですね。まるで我が子を失った気分です。子供いたことないですけど。そもそも彼女いないですけど。悲しいですねえ。倫政が廃止されたことよりもよっぽどきついです。誰かが”情けねえ”と言っている声が聞こえてきました。
というわけで今回、私は倫政について書きたいと思います。”倫政?は?興味ねえよ”と思った方はどうぞブラウザバックしてください。今回は倫政は倫政でも私が受験期に倫政を選択した理由についての自分語りです。”は?女の自分語りならまだしも男の自分語りなんて興味ねえよ”と思った方。どうぞブラウザバックしてください。恐らく何も面白くないです。もしくはこちらで可愛い可愛い女子委員が自分語りをしているのでぜひこちらへ。
倫政を選択した理由を話す前に、それを話すための話をしたいと思います。これは私が高校3年生の時の話です。実は私は高校3年生の時は理系のクラスにいました。これは、高校2年生の文理選択の際に数学、理科などの理系科目がちょっと得意だったのと、その代わりといっては変ですが国語、英語、社会などの文系科目がものすごく苦手だったことに起因しています。しかし、転機は突然に、高校3年生時のコロナ禍による一斉休校(以下、一斉休校)の際にやってきました。一斉休校の時は私も受験生だったわけで勉強をしていたのですが、その時に”あれ?俺って勉強嫌いじゃん”と気づいてしまったのです。そうなったら、もう勉強に手が付かないわけですよ。そして、一斉休校があけた7月、クラス担任と面談をした結果、高校3年生の7月という意味のわからない時期に文転を決意しました。文転を決意した理由はとてもしょうもなく、理系は大学受験でも文系よりも勉強しないといけないうえ、大学に入ってからでさえも文系みたいに遊び惚けていられないと聞いたからです。以前から”大学は人生の夏休みだ!”という考えしかなかった私にとってそれはまさに”絶望”でした。それはまるで推しのアイドルに彼氏がいたときぐらいの絶望感です。推しのアイドルなんていないので知らないですけど。
もう少し自分語りにお付き合いください。ここからが私が倫政を選択した理由になります。先ほども話した通り私は高校3年生の7月に文転をしました。今更ですけど頭おかしいですね。受験をなめているとしか思えないです。もう少し頭がおかしいことを言うと、文転して志望校を一橋に決めるまで、一橋の社会の難しさを知りませんでした。だから、文転した際には”今から勉強を始めても日本史・世界史ぐらい間に合うでしょう”という軽い気持ちしかなかったです。そんななめ腐った状態で一橋の社会は論述形式で400字×3枚と知った時は軽く絶望しましたね。例えるなら、微分積分のレポート提出期限5日前に授業を何一つ見ていない状態かつ残り5日間の予定がすべて埋まっている状態の絶望感と同じくらいです。やたら例えがリアルなのは、今実際にこの文章を書いている私がその状態だからです。現実逃避している暇はないんはずなんですけど、明日以降の自分が頑張るんで大丈夫という安心感からやる気がでないですね。また”情けねえ”という声が聞こえた気がします。
以上の理由で未履修の日本史・世界史で二次試験を突破することは諦めました。この状態で私の元に残る選択肢は地理または倫政の2つです。2021年度入試まではビジネス基礎も選択できたので、正確には3つだったのですが、最初からビジネス基礎とかいうよくわからない科目を選択するのは正気の沙汰ではないです。まだ大学に入学してから1年しか経っていませんがビジネス基礎を選択した人は2,3人しか知りません。まあ、実際にビジネス基礎を選択する人がいること自体に驚きが隠せないです。ある人の話ではビジネス基礎は、二次試験本番に自分の選択した社会科目が難しすぎて正気を失った人が選択する科目だと聞きました。かろうじて正常な判断を私は下すことができたので、ビジネス基礎は選択しませんでした。本当に良かったです。
最後に地理と倫政のどちらにするかという選択ですが、これは割と早かったですね。一橋の社会の難易度をネットで調べて即決しました。そのサイトによると
(難)地理≫世界史≫日本史≫倫政(易)
と書いていました。どのサイトを見てもこんな感じでした。正直迷う理由がないですよねー。というか、これを見て地理を選択する人は何なんでしょうか。ドがつくMなんですかね。俺はそんなドMじゃなかったので当然倫政を選択しました。一橋祭運営委員には地理を選択している人がいるので、どういった心境で選択したのか聞いてみたいものです。まあ、なんだかんだこれで私が倫政を選択した話は以上です。受験期について書きたいことが他にもあるのですが冗長になるので今回はやめときます。
さいごにですが、せっかくなので私の好きな倫理思想を残したいと思います。
「私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデーを発見することが必要なのだ。」(Soren Aabye Kierkegaard)
これは、西洋近現代の実存主義の哲学者、キルケゴールの思想です。彼にとって真理とは、”それのために生き、そして死にたいと思うような主体的な真理”でした。人間はいつか死にます。どうせ死に行く命、せっかくだったら人生の中で”それのために生き、そして死にたいと思えるぐらい情熱をささげられる主体的真理”を見つけたいですよね。私にとっては一橋祭が主体的真理です。私は皆さんにもそんな主体的真理が見つかることを願っています。
ここまで読んでくださった人がどのくらいいるのかは知りませんが、一度でもクスッと笑える部分があれば微積のレポートを犠牲にしてこの文章を書いた甲斐があります。読んでくださりありがとうございました。
それではまたいつか逢う日まで。