僕のパパの話

はじめに

ツツジの蜜を吸って飢えを凌ぐ季節が近づいてまいりましたが、あれは毒性が含まれているらしいので死なない程度にたしなむようにしましょう。どうも、時の流れに身を任せていたら2年生になった、一橋祭運営委員会の菅野です。一橋祭ラジオで楽しくおしゃべりしていたら、めっきり文章を書かなくなってしまいました。僕みたいなパンピーの文章を待っている人なんていないでしょうし特別書きたいこともなかったので、記事を書けそうなエピソードはラジオ用にストックしていたわけですが、最近尺の都合上あまりフリートークをさせてもらえないので今回ウェブマガジンに舞い戻ってきた次第であります。

突然ですが、僕と父について書いていこうかなと思います。去年書いたインド体験記④で少し触れたこともあるのですが、未熟だった僕はインド駐在中に父にしょうもない反抗をしていました。高校生になり僕が少し大人になった頃、ようやくインドから解放された父と仲良く日本で暮らせるのかと思っていたら、父は日本ではなく中国に赴任していきました。今年で父が単身赴任を始めてから印中通算で5年目に突入しますが、新型コロナウイルスの影響で渡航が制限されるようになってからは一時帰国すら許されなくなり、父の寂しさは加速しております。家族との関わりは不愛想な息子たちがほとんど返信しないが故に母と父の個チャと化しつつある家族のグループラインと、毎週日曜に行われる「Skypeを繋げて家族全員で夕飯を食べた気分になる会」です。そんなわけなので、大変寂しい状況下にある父は少し面白いことがあるとすぐに家族ラインに投げてくるわけです。

今回はそんな寂しい父からの魂の叫びであるラインの内容をいくつか紹介していきます。これで少しは父の寂しい気持ちも和らぐことでしょう。ああ、僕はなんて親孝行な息子なんでしょう。

ラジオのおはなし

最近家族ラインにたくさん送られてくるのが一橋祭ラジオの感想です。息子の声が聞ける機会が普段の生活ではほとんどない父にとって、息子の近況を把握する唯一無二の手段が一橋祭ラジオなのでしょう。僕としてもラジオを聴いて楽しんでもらえるのは嬉しいのでこれはWin-Winの関係なのですが、ひとつだけいただけない点があります。なぜか父は僕ではなくて相方の藤井ばかり褒めるのです。「藤井さんの返しが面白い」とか「藤井さんのファンになりました」とか藤井のことはベタ褒めする癖して、僕については「早くダイエットしろ」とか「遅刻して反省してるのか今回おとなしいね」とか痛いところばかりついてきます。せっかく可愛い息子が頑張ってるんだから、素直に褒めればいいのに。47歳のおっさんのツンデレは需要がないです。

ちなみに、父はハオハオマンというラジオネームでラジオにお便りを送ってくれます。お便り不足に苦しんでいる我々一橋祭ラジオとしてはとても嬉しい話なのですが、身内のお便りを読むのはなんか悔しいということで収録の度に読むか読まないかの葛藤を抱えております。みなさん、もしよろしければこちらからお便りを送ってください。父よりも面白ければバンバン読みますので、よろしくお願いします!

中国のおはなし

中国という国は、インド程ではないにしろとても面白い国です。国土が広く地域ごとに食文化や天候が違うのは皆さんご存知かと思いますが、最近だと徹底したコロナ対策が他の国の対応とは大きく異なっていて面白いなと感じます。

濃厚接触者が一人いるだけでそのマンションの住人全員を国がPCR検査したり、小学校に濃厚接触者がいる場合は子供達全員2日間学校で隔離されPCRを2回陰性でないと帰れなかったりなど、コロナへの対策は他のどの国よりも徹底されていて本当に感染者を0人に抑えることで対策しようという国家の意志が伝わってきます。

海外からの入国の際も隔離措置は徹底されており、父の会社の出張でいらした方は2〜3週間、朝昼晩全て国から食事を支給されてホテルに隔離されていたそうです。その隔離飯も地域によってクオリティが違うらしく、興味深かったので父が送ってくれた画像を共有しようと思います。

中々美味しそうなものもありますが、最後の長宇区で隔離生活を強いられなどしようものなら多分気が狂って踊り出すはずです。朝昼晩毎食米とチンゲンサイの炒め物なんて我慢できますか?やっぱ中国はファンキーな国ですね。

コロナ対策関連だけでなくとも、父は中国という国のエピソードをたくさん話してくれます。「中国でも桜が咲いていたよ。」とか、「お仕事で知り合った人と美味しい上海蟹をたくさん食べたよ。」とか、「中国人と本場の麻雀を打ってきたよ」とか。くだらない話ばかりではなく、時々深イイエピソードも送ってくれます。

この写真に写っているのは日中国交正常化10周年記念の切手だそうです。新しく一緒にお仕事をすることになった中国人の方から、今年は日中国交正常化50周年だということもあり実家で大切に保管されていたものを1つ頂いたそうです。

「少し色褪せてはいるんだけど、だからこそ40年間、大切に保管されてきたことがよくわかります。そんな大切なものを渡され、とても大事な思いを託された気がしました。今年は日中国交正常化50年の年です。色んな歴史や政治体制の違いくる摩擦があるのは現実ですが、一方で一人一人、人と人との交流がこれまで50年間分蓄積されてきたことも事実。」

なんていいことを言う父親なんでしょうか。なんでそんな偉大な父からこんなロクデナシが生まれてくるのでしょうか。「育ちは良い、育て方も良い、ただ育ち方が悪かった。」という冗談を僕はふざけて家族と言っているのですが、まさにそのとおりなのかもしれません。

おわりに

なんで僕は自分の父親についてこんなに書いているんでしょうか。しかも、新歓の時期に一橋祭運営委員会のウェブマガジンで書いてるんですよ。普通の状況ではないですね。実は、これには明確な理由があります。一橋祭ラジオの宣伝がしたかったんです。そのために偉大なる父について書いているふりをしていること、どうかお許しください。
ただ、なんだかんだいって僕の父はめちゃくちゃ面白くて立派な人なのでそれっぽい文章には仕上がっているはずです。これを読んでいる皆さんは、ぜひこちらに単身赴任で寂しい父への応援メッセージを送ってください!それでは、また。